目前分類:宗教 (4)

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" Je crois en Dieu " (credo)

Je crois en Dieu le Père tout-puissant,
Créateur du ciel et de la Terre,
et en Jésus-Christ son Fils unique, notre Seigneur,
qui a été conçu du Saint Esprit,
est né de la vierge Marie,
a souffert sous Ponce Pilate,
a été crucifié, est mort, a été enseveli,
est descendu aux enfers ;
le troisième jour est ressuscité des morts,
est monté aux Cieux,
est assis à la droite de Dieu le Père tout-puissant,
d'où il viendra juger les vivants et les morts.

Je crois au Saint Esprit,
à la Sainte Église catholique,
à la communion des saints,
à la rémission des péchés,
à la résurrection de la chair,
à la vie éternelle.

Amen.

" Notre Père " (Pater)

Notre Père , qui êtes aux cieux,
que ton Nom soit sanctifié,
que ton Règne vienne,
que ta Volonté soit faite sur la Terre comme au Ciel,
donnez-nous aujourd’hui notre pain de ce jour,
pardonnez-nous nos offenses,
comme nous pardonnons aussi à ceux qui nous ont offensés,
ne nous laissez pas succomber à la tentation,
mais éloignez de nous le mal.

Amen.

 

 " Je vous salue Marie " (ave maria )

Je vous salue, Marie, pleine de grâce ;
le Seigneur est avec vous ;
vous êtes bénie entre toutes les femmes ;
et Jésus, le fruit de vos entrailles, est béni.

Sainte-Marie, Mère de Dieu,
priez pour nous, pauvres pécheurs,
maintenant et à l’heure de notre mort.

Amen.

 

 " Gloire au Père "

Gloire au Père, au Fils et au Saint-Esprit,
comme il était au commencement,
maintenant et toujours, dans les siècles des siècles .

Amen.

 

 "  ô mon Jésus "  ( prière de Fatima )

ô mon Jésus ,
 pardonne nous nos péchés ,
 préserve nous du feu de l'enfer ,
 conduisez au Ciel toutes les âmes ,
 spécialement celles qui ont le plus besoin de votre miséricorde.

 Amen.

 

" salut, ô Reine " (salve regina)

Je te salue , ô Reine , Mère de miséricorde
 toi qui es pour nous vie , douceur , espérance ;
 vers Toi , nous les fils d'Eve , nous crions dans notre exil
 vers Toi , nous soupirons ,
 gémissant et pleurant dans cette vallée de larmes.
 Toi , notre avocate , tourne vers nous tes yeux plein de bonté ,
 et Jésus , ton Fils bénit , montre le nous au terme de cet exil .
 ô clémente , ô si bonne , ô douce vierge Marie

 Amen.

Suggestions d'Intentions de prières :  
       
    pour soi : sanctification ( approfondir l'amour pour Dieu et pour le prochain , pratiquer les vertus, humilité, charité, obéissance … ), guérison spirituelle, guérison physique,
                       aider à sanctifier les autres, faire des bonnes actions en union avec Jésus, patience dans les épreuves, etc , etc
 
 
      
    prier pour ceux qui ont le plus d'importance, d'influence dans le monde , c'est-à-dire :
    pour le Pape, les éveques et les pretres du monde entier , pour leur sanctification, pour qu'il convertissent et sanctifient le plus de personnes possible
    pour les chefs d'Etats du monde entier , pour qu'ils se sanctifient, dirige leur pays saintement et sanctifient beaucoup de personnes
       
    et puis aussi :  
    pour notre famille, nos amis, nos collègues de travail ….pour leur conversion, leur sanctification 
    pour ceux qui souffrent physiquement et/ou moralement ( maladie, solitude, victimes de catastrophes naturelles, etc…)
    pour notre famille au Purgatoire, qui y souffre le martyre à chaque seconde , pour que Marie les soulage un peu.
    pour éviter les avortements, les suicides, les crimes, les euthanasies, attentats, génocides, guerres….
    pour avoir plus de pretres , pour avoir des Saints …  
    pour qu'il y ait plus de foi, d'amour, de charité dans le monde  
    ou pour une personne en particulier qu'on connaît , pour sa guérison physique ou un soulagement de ses douleurs , ou autre intention
       
    priez pour vos ennemis !  ( pour qu'il se convertissent, s'améliorent …. ) et pardonner leur avec humilité leur actions mauvaises pour être nous aussi pardonné de Dieu
       

 

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Jesus-heart01.jpg  

Signore Gesù Cristo, Figlio di Dio, abbi pietà di me, peccatore!(イタリア語)

Seigneur Jésus Christ, Fils de Dieu, aie pitié de moi.(フランス語)

主イエスキリスト、神の子よ、我罪人を憐れみ給え。

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聖マリア・ファウスティナが受けた預言

これを書き記しなさい。審判者として私が来る時、私はまず、いつくしみの王としてやって来る。正義の日が訪れる前、天にはその印が現れる。天と地において、全ての光が消え失せる。天空には十字の印が現れる。私の手と足の傷からは、しばらくの間、地(地球)を照らし出す光が放たれる。それは、終わりの日に先立つ、ほんのしばらくの間である。(右の絵は、神の慈しみの御絵。主の聖心から出ている2つの光線は、青白い方が霊魂を義とする水。赤い方が霊魂の生命である血を意味します)この2つの光線のもとに生きる人は幸い。神の正義の御手は、この人を捕らえることが出来なからである(229番)

預言では、ありませんがとても重要なメッセージです。「わたしのいつくしみについて世界に話しなさい。全人類は、わたしの限りないいつくしみを見きわめるように。それは、終末の時のための印である。その後、正義の日がやって来る。まだ時間がある内に、私のいつくしみの泉に近づき、彼らのために流れ出た血と水を利用するように彼らに言いなさい」 (848番)

「私の秘書よ、わたしは、正しい人のためよりも、罪人のために気前がよいと書きなさい。彼らのために地上に降り、・・・・・・彼らのために血を流した。彼らが、わたしに近づくのを恐れないように。彼らこそ誰よりも、私のいつくしみを必要としている」(1275番)

「人が、信頼を強くすればするほど、たくさんの恵みが与えられる」 (1576番)

「私は、苦しんでいる人類に罰を与えたくない。私のいつくしみ深い心に人類を引き寄せることによって人々を癒したい。人々が、私に罰を与えるように強いる時だけわたしはそうする。私の手は、正義の剣を取ることを好まない。正義の日の前に、私は、いつくしみの日を送っている」 (1588番)

十字架の死に至るまでのイエズスの従順は、「正義の剣を遠ざけて、いつくしみの期間を延ばしました」 その為に、現在は、いつくしみの時なのです。この世に生きている間に誰にでも回心のチャンスが与えられています。神は絶えず人間の回心を待っています。実はそれだけではなく、神はあらゆる罪の中に生きている人間を、ご自分のいつくしみをもって追いかけています。いつくしみ深い神は忍耐強い方なので、すぐに罰を与えることはありません。罰のためには永遠があります。正義の日がやってくる前に、神はまずいつくしみの日を送り、いつくしみの王を遣わします。しかし、もしいつくしみの王であるイエズスを受け入れないならば、その人は正しい審判者であるイエズスの前に立つことになります。

「正しい審判者として来る前に、まず私のいつくしみの戸口を広く開ける。この戸口を通って入りたくない人は、正義の戸口を通って入らなければならない」(1146番)

「誰一人も、私の手から逃げることが出来ないと罪人に言いなさい。彼らが、私のいつくしみ深い御心から逃げているならば、必ずわたしの正義の手に陥る。は、いつも彼らを待ち、彼らの心がわたしに向かって鼓動しているかを聴いていると罪人に言いなさい。書きなさい。わたしは、良心のかしゃく、失敗と苦しみ、または嵐と雷、教会の声を通して彼らに語っている。わたしのすべての恵みを無駄にしてしまうならば、わたしは、彼らに怒りを感じ始め、縁を切り、望みのままにする」(1728番)

「最も大きな罪を犯している人が、私のいつくしみに信頼するように。他の人よりも彼らこそ、私のいつくしみの淵に信頼する権利がある」 (1146番)

「私のいつくしみから恵みを汲むためには、ただ一つの器しかない。それは、信頼なのである。人は、信頼を強くすればするほど、たくさんの恵みが与えられる」 (1578番)

「私は、自分自身をあなたの信頼に任せる。あなたの信頼が大きいほど、私は、限りなくいつくしみを与える」 (548番)  「私を信頼しないことが、何よりも私を大きく傷つける 」(1076番)

ゆるしの秘跡
シスター・ファウスティナの日記によると、主イエズスは、私達が、ゆるしの秘跡を受けることによって、神のいつくしみを礼拝すると強調しています。 
シスター・ファウスティナに向かって、主イエズスはこう語ります。「私のいつくしみについて書き、話しなさい。慰めを探すべきところを人々に教えなさい。それは、いつくしみの裁判所である。そこでは最も偉大な奇跡が絶えず繰り返される。わたしの代理者のもとに近づき、自分の全てのみじめさを話すだけで、神のいつくしみの奇跡は完全に現れる。魂は、腐りつつある死体のようであっても、あるいは人間にとっては、復活が不可能となり、すべてが失われたようになっても、神にとっては、そうではない。神のいつくしみは完全にこの魂を復活させる」(1418番)

ゆるしの秘跡に近づく時、告解所には、わたし自身があなたを待っていると言うことを意識しなさい。私は、司祭の姿に隠れるが、魂において自分自身で働く。ここでは、みじめな魂は、いつくしみの神と出会う。このいつくしみの泉から、ただ信頼という器だけで恵みを汲むことが出来ると人々に言い伝えなさい。彼らの信頼が大きければ大きい程、私の気前よさには限界がない」(1620番)

御聖体拝領
イエズスは、シスター・ファウスティナにこんな言葉を語りました。「わたしは、人間の霊魂と一致することを望む。霊魂と一致することは、わたしの大きな喜びである。聖体において人間の心に入る時、私の手はあらゆる恵みで満たされている。この恵みを人々に与えたいが、人々は私を無視し、一人に残して、別の事に心を向ける。人々が愛を見きわめない為に、私はとても悲しんでいる」(1385番)

「聖体において、わたしと一致する人が少ないので、わたしはとても苦しい。わたしは人々を待っているのに、彼らはわたしに対して無関心である。わたしは心をこめて、これほど誠実に彼らを愛しているのに、彼らはわたしを疑う。彼らにたくさんの恵みを注ぎたいのに、彼らはそれを受け入れたくない。わたしには愛といつくしみに満ちあふれる心があるのに、彼らは、わたしを何か死んだものように扱う」(1447番)

「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。その代わりに、わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」  (1146番)

(※信頼するようにと罪人に呼びかけるイエズスは、こう言われます。「痛悔する魂にとって、私は、いつくしみである」(1739番) 痛悔なしの信頼は、単なるハレンチであり、いつくしみではなく、放縦を期待することです。これは大きな誤りです)

我が娘よ、真実に私を愛する者は、なんと少ない事だろう。(アヴィラの聖テレサへのイエズスの言葉)

 

聖マリア・ファウスティナ (ヘレナ・コヴァルスカ) (祝日10月5日 1905 -1938)

ヘレナ・コヴァルスカは、ポーランドのグウォゴヴィエツと言う小さな村で、1905年8月25日に生まれました。10人兄弟の3番目の子でした。子供のときは、とても貧しくて、同級生にも、よく笑われたと言う苦しい経験もしました。しかし、幼い頃のヘレナは、よく祈り、信仰に関する本もよく読んでいました。家族も信心深く、後にヘレナは、こう言っています。「父の祈る姿を見てとても恥ずかしくなりました。なぜなら、こんなに長い間修道生活をしても、私は、父のようにあれほど熱意を持って、熱心に祈ることは、出来ないと思えるからです。ですから、そんな両親を与えてくださった神様に絶えず感謝いたします」

ヘレナは、14歳のときからお手伝いさんとして働き、自分の家族を支えていました。そんな彼女も絶えず自分の使命を探していました。すでに、7歳の時に、神様の声、つまり、より完全な生活への招きを聞いていたのです。でも具体的な決心に至らず普通の生活を続けていたのです。さて18歳の時のことです。ヘレナは、友達とダンスパーティーを楽しんでいました。するとその時、非常に力強い神の呼びかけを感じました。受難のイエズスが現れ、「いつまで、あなたのために苦しまなければならないのだ。いつまで私を惑わすつもりか」と言われ、音楽も聞こえなくなり、周りの人々の姿も見えなくなります。ただキリストの声だけが聞こえ、キリストの姿だけが見えます。そこでこれからやるべきことがイエズスから示されたのです。

やがてイエズスの導きにより、1925年8月1日、ヘレナは、憐れみの聖母修道会に入会しました。そして志願期を終えたヘレナは、1926年4月30日に修道服とマリア・ファウスティナと言う修道名をもらいました。観想的だったシスター・ファウスティナは、祈りすぎると同僚から文句が出たほどで、あるいはロザリオを手にしながら、草取りをしていたと言う姿が伝えられています。修道生活の始めの頃は、霊的な苦しみや初期の結核で、随分、体が弱ってしまいました。そんな彼女を時には、ちょっとしたおとぎ話のような奇跡で、イエズスは、助けておられました。

やがてがシスターの死後、世界中に広まることになる、神の慈しみに関するメッセージや祈りなどをイエズスから啓示されるようになります。まずこのメッセージでは、いつくしみの御絵崇敬し、神への深い信頼を持つ事。それから神のいつくしみを褒め称えるための外的信心。それから祈りや行いなどによるいつくしみの実行が望まれています。祈りには、ノヴェナや慈しみの賛美、信頼の祈りなどたくさんあります。またいつくしみの祝日の祝い方などそのほか重要なメッセージもあります。(それは後で少し紹介します) もちろんマリア・ファウスティナも他の聖人同様、たくさんの霊的、肉体的苦痛を味わい、また周りからの誤解や病気でも苦しみました。そして1938年病室に移ったマリア・ファウスティナは、絶えず神のいつくしみを願い、最後まで味わっていた苦痛と祈りを全て罪人のためにささげていました。そして同年10月5日の夜遅く、司祭に罪を告白した後、安らかに息を引き取りました。

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不思議のメダイ(ふしぎのメダイ、フランス語: Médaille miraculeuse、英: Miraculous Medal)

 

奇跡のメダイユ(メダル)とも言う。

 

原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我等の為に祈り給え

            
げんざいなくしてやどりたまいしせいまりあ、おんみによりたのみたてまつるわれらのためにいのりたまえ 

O Mariaconcepita senza peccatoprega per noi che ricorriamo a te! (3 volte) (イタリア語)

O Mary, conceived without sin, pray for us who have recourse to thee. (英語)

O Marie conçue sans péché, priez pour nous qui avons recoure à vous.(フランス語)

O MARIA SINE LABE CONCEPTA ORA PRO NOBIS QUI CONFUGIMUS AD TE.(ラテン語)

                                                                            (ORA PRO NOBIS はO.P.Nと表記されることがある)

 「この姿の通りにメダイを作ってもらいなさい。
   このメダイを身につける人は、特に首に掛ける人は、残らず大きなお恵みを受けるでしょう。 
      深い信頼を持ってそれを身につける者は、また特別に豊かな恵みに満ちあふれるでしょう。」


  1830年11月27日 聖母マリア様から聖カタリナ・ラブレ愛徳姉妹会修道女に与えられた御言葉

 

聖ヨゼフのロザリオでは聖母マリア様の御言葉に従ってぜひ不思議のメダイを身につけたいという方のために、一点ずつ祈りを込めながら作製した純銀製の不思議のメダイの中に、世界中の聖地、聖母の御出現地から集めた奇跡の聖油と聖水をバラの香油と共に封じ込め、司祭の聖別と祝福をいただいた上で、聖三位一体を表す三色の麻糸を天然の蜜蝋でろう引きし、奇跡の聖油と聖水を染みこませながら祈りを込めて三つ編みして聖三位一体の紐を編み上げ、その紐に不思議のメダイを編みつけて、ご希望の方にお送りしています。

不思議のメダイと聖女カタリナ・ラブレの生涯

      




不思議のメダイとは何でしょうか

 不思議のメダイとは何でしょうか、アクセサリーでしょうか、それともお守りでしょうか、人間が考え出したものでしょうか?いいえ違います。不思議のメダイとは天国から聖母マリア様の直接の御指示によって与えられたカトリック教会の準秘蹟であり、それを信頼を持って身につける人が自分自身のすべてをマリア様に奉献しているというしるしです。また自分の霊魂を至聖なるイエズスの聖心と聖マリアの汚れなき御心の御保護のもとにおいているというあかしなのです。このメダイは信者、未信者を問わず誰でも身につけることができます。そしてこのメダイを身につける人々は聖母マリア様を通して御聖体のうちにまことにまします主イエズス・キリスト様とかたく結ばれ、一生涯聖母の御保護を受けることを約束されているのです。黙示録の時代、最後の時といわれる現代は地獄からの悪魔の働きが非常に強い時です、悪魔は時のないことを知って一人でも多くの霊魂を地獄に道連れにしようと大暴れしているのです、ですが”神の母”であられ、”へびの頭をふみくだくお方”であられる聖母は天地の元后として、すでに悪魔にうち勝っています。戦争、疫病、大災害、犯罪、事故、大恐慌、テロリズム、謀略などの不安が渦巻く現代において、幼子のように聖母に依り頼み自らを奉献し、信頼を持って不思議のメダイを身につける人は必ずや聖母によって真理に導かれ、決して悪魔にうち負かされることはないでしょう。すべての恵みの仲介者であられる聖母マリア様に依り頼むことは天国へのもっともやさしい、確実な道なのです。

 原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我等の為に祈り給え



1830年11月27日 愛徳姉妹会修道女カタリナ・ラブレに聖母マリア様は御出現し世界に不思議のメダイを伝える使命を託された

聖母マリア様の聖カタリナ・ラブレへの御出現

 カタリナ・ラブレは1830年1月22日に長年の念願がかなってパリの愛徳姉妹会に志願者として受け入れられました、彼女は1806年5月2日に北フランスの田舎町ファン・レ・ムティエという農村に生まれ、カタリナ・ゾエと名付けられ生まれた翌日の土曜日に洗礼を受けました、ゾエとは「いのち」という意味です。彼女は学校教育を受ける機会に恵まれなかった農家の娘でした。カタリナの母は信仰深く、毎日の忙しい生活の中でも子供たちにキリスト教の教えを話し、お祈りを教えたのでした。8人兄弟だったカタリナの後にも妹のトニーヌとオーギュストという弟が生まれ一家は喜びの内にありましたがある日、末っ子のオーギュストが荷車から落ちて動けない身体になり、このことから一家の暮らしは苦しくなっていきました。このことによる心労と苦しい仕事のためにカタリナの母は病気になりカタリナが9歳の時、1815年10月9日にとうとう亡くなってしまいました。この母の死は幼いカタリナにとって大変なショックで彼女はそのことに打ちのめされそうになりましたが、彼女は母が毎日子供たちに唱えさせていたマリア様の祈りを思い出しました、彼女はイエズス様のお母さまであられるマリア様に依り頼むことに慰めを得たのです。彼女は母の死を知ると母の寝室の椅子の上に上って暖炉の上においてあった聖母マリア様の御像を手に取り、胸に抱きしめて大声でいいました。「愛する聖母マリア様、今日から私のお母さんになって下さい」このときからカタリナは聖母に依り頼み、自らを聖母に奉献したのでした。

 カタリナが洗礼を授かったファン・レ・ムティエ村の教会

 3年が過ぎカタリナが12歳の時23歳の姉マリー・ルイーズが神さまからの召しだしを受け、聖ヴィンセンシオ・ア・パウロが創立した愛徳姉妹会のシスターになりたいと父に願い出ました。父は家事や弟の世話を誰がするのか心配でしたが、12歳のカタリナは母親代わりにすべて引き受け、姉はシスターになることが許されたのでした。姉のマリー・ルイーズがシスターとして家を離れる少し前にカタリナは初めての御聖体拝領を受けることができました。彼女はこの時から幼かったにもかかわらず一家の主婦代わりとして父や、弟、妹、雇い人のために食事や洗濯、裁縫の仕事から家畜の世話までこなしたのでした。そんな忙しい毎日の生活の中で彼女は毎朝御ミサにあずかり、暇を見つけては御聖体を訪問しイエズス様に祈りを捧げたのでした。
 カタリナはある夜忘れられない不思議な夢を見ました、その夢の中で彼女が教会でお祈りしていると、一人の年老いた神父様がやってきて御ミサをお捧げになりました、その神父様がじっと彼女のことを見つめたので彼女は逃げ出したくなりましたが、神父様は「あなたはいつか私を見つけるでしょう、神さまはあなたに託す一つの計画をもっておられます。」とおっしゃいました。
 
 カタリナ・ラブレが夢の中で見た神父とは愛徳姉妹会創立者の聖ヴィンセンシオ・ア・パウロであった

 この夢を見てから、修道女への召しだしを強く感じたカタリナは、父親に愛徳姉妹会に入りたいと申し出ましたが、父はもうすでに一人の娘を神さまにお捧げしていることを理由に許しを与えてはくれませんでした
それから数ヶ月してカタリナが18歳になり妹のトニーヌが家事を引き受けられる年齢になると、カタリナはもう一度父親に愛徳姉妹会のシスターになりたいと申し入れました。しかし父はこの願いを聞き入れてやるどころか激しく反対し、彼女の兄のシャルルが経営するパリのカフェへ手伝いに出しました。父は都会のパリでの生活がカタリナの修道女への召しだしを忘れさせてくれるのではないかと期待したからです兄のシャルルは妹のカタリナが来たのを心から喜んでくれましたが彼女が召しだしのことで苦しんでいるのを知ると、父に話してくれましたが、父はやはり許してはくれませんでした。シャルルはカタリナのもう一人の兄のユベールと話し合い、その結果ユベールの妻が経営する寄宿学校でカタリナをあずかることにしました、この学校は故郷のファン・レ・ムティエからそう遠くないシャティヨン・シュル・セーヌというところにあり。ここではじめてカタリナは読み書きを習うことができたのです。偶然このシャティヨンの町に愛徳姉妹会の修道院があるのを知り、喜んだカタリナは修道院を訪れました、するとその玄関に見覚えのある神父様の肖像画が飾ってあったのです。すかさず彼女はシスターに尋ねました。「この神父様はどなたですか?」シスターは「この方は愛徳姉妹会を創立された聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ神父様ですよ」と答えました。そうです以前、不思議な夢の中で出会った神父様その人だったのです。その後彼女の修道生活への望みは強まるばかりでした。カタリナが幸せそうにシャテヨンの愛徳姉妹会に通う様子を見たユベールはもう一度父親に話してくれました。そしてついに父はカタリナの修道生活への召し出しを神の御旨と受け入れて修道女になる許可を与えてくれたのです。ただ彼女には教育がないという理由ですぐには修道会に受け入れられませんでしたが、ついに彼女は23歳で志願者として愛徳姉妹会に受け入れられたのです。そして4ヶ月後の1830年4月21日にパリのバック通り140番地にある愛徳姉妹会の修練院に修練女としての入会を許可されました。この修練時代、彼女は御聖堂に入る度に御聖体のうちにまことにましますイエズス様の御姿を幻視するようになったのです。

聖母マリア様の初めての御出現 1830年7月18日から19日にかけての深夜
 

  天使は言った。「シスター、シスター、お聖堂に来てください。聖母マリア様があなたをお待ちです。」

 聖母マリア様が初めて彼女に御出現になったときの事を、シスター・カタリナは後に彼女の聴罪司祭に次のように話しています。「聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ様の祝日の前夜、私たちの良き修道院長であるマザー・マルタ様は諸聖人に対する信心、特に祝されたおとめであられる聖母マリア様に対する信心についてのお話をしてくださいました。私は長い間聖母にお目にかかりたいという望みを持っておりましたので、聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ様がそのお恵みをかならずお取り次ぎくださるという確信を持って眠りにつきました。」
 「夜中の11時半ころ私は誰かが『シスター!シスター!』と私の名前を呼ぶのを聞きました。一人の4歳から5歳くらいの白い衣を着た子供が私に言いました『お聖堂に来てください、祝された乙女、聖母マリア様があなたをお待ちです。』そのとき、すぐに私は誰かが気がつくのではないかと考えました。するとその子は『心配しないで、今は11時半です。皆さん眠っていますよ。おいでなさい、待っていますから。』と言いました。 わたしは素早く着替えるとその子のそばに立ちました。そして彼についていったのです。すると私たちが行く先にはすべて明かりが灯っていたのです。そして私がお聖堂の入り口に着くと、驚いたことにその子が指先でふっと触れるだけでドアがひとりでに開いたのです。私たちが中に入るとちょうど真夜中の御ミサの時のようにお御堂の燭台とランプに火がすべて灯されていました。しかしながら、私は聖母のお姿を見ることは出来ませんでした。その子供は私を内陣に連れて行ってくれ、私は祭壇のそばににひざまずきました。真夜中の12時が近づいて、彼は私に言いました。『ご覧なさい!聖母マリア様です。ここにいらっしゃいます。』 私は絹のローブがこすれるような音を聞きました。すると、とてもお美しいご婦人が神父様のお座りになる肘掛け椅子にお座りになっていたのです。ですが私はそのご婦人が聖母様であるかどうかわかりませんでした。するとその子は私にもう一度強い声で言いました。『聖母マリア様がここにおられます。』その瞬間、私は聖母の前にかけより祭壇の階段にひざまずきました。そしてわたしの手を聖母の御膝にかけたのです。どれくらいの間そうしていたかはわかりませんが、それは私の生涯の間でも最も甘美なひとときでした。聖母はゆっくりとお話になり、私が霊的指導をしてくださる神父様にどのように接すればよいかを教えてくださり、また聖母が私に打ち明けてくださったいくつかの事柄を心にとどめておくようにおっしゃいました。そして『困難に会ったときは、ここにおいでなさい。そして御聖体のうちにいらっしゃるイエズスさまに心を開いてお祈りするのです。そうすればあなたはすべての必要な慰めを受けるでしょう。』とおっしゃいました。どのくらい聖母のおそばに留まっていたかはわかりません。聖母様はは来られた祭壇の方へ、まるで光が消え去るかのように見えなくなられました。私がひざまずいていた祭壇の階段のところから身を起こすと、子供は『聖母マリア様はお帰りになられました。』と私に告げました。私はその子供に付き添われて元の道を帰りましたが、この時、来たときと同じように明かりが灯されていました。私はいつも守護の天使にたいして聖母マリア様にお会いできるお恵みを求めて祈っておりましたので、この子供は私の守護の天使ではなかったかと思います。私は守護の天使が祈りにこたえて聖母マリア様のもとに案内してくれる役割をしてくれたものと考えています。彼は真っ白い衣に身をつつんでその姿からは太陽の光より輝かしい神秘的な光を放っていました。私がベッドに戻るとちょうど時計が2時の時を知らせるのが聞こえました。しかし私はベッドに入ってもその夜は眠りにつくことができなかったのです。」
 
御出現された聖母と話すカタリナと守護の天使
 
 この御出現の時、カタリナ・ラブレは2時間以上も聖母マリア様と時を過ごしましたが、後の1876年、彼女が天国へ召される数ヶ月前に自らの手で、そのご出現の時に聖母様が語られた御言葉を明かして、書き残しています。
 聖母はこう言われました。
「私の子よ、とても良い神さまは、あなたに一つの使命を託したいと考えておられます。そのことはあなたに多くの悩みを引き起こすでしょうが、あなたはそれが神さまの栄光のためになることを知ってその苦難に打ち勝つことでしょう。あなたは否定されもするでしょうが、あなたは神の栄光を得るでしょう。恐れないでください。あなたが祈りと共に人々にたいしてその使命を果たす事によってあなたは確かなその実りを見ることでしょう。」
 また聖母は全世界にたいしてこう忠告されたのです。
「現代は悪の時代です。不幸がフランスに襲いかかるでしょう。王制は倒されるでしょう。全世界はあらゆる種類の悪によって悲惨な目にあわされるでしょう。しかし祭壇のもとにおいでなさい。御恵みを願うすべての者には、偉大な者にも、とるに足らない者にも御恵みが満ちあふれるほどにそそがれるでしょう。」と
このようにして、聖母マリア様のカタリナ・ラブレに対する最初の御出現は終わったのです。


 御出現のあった不思議のメダイ教会のお聖堂

聖母はカタリナに不思議のメダイの啓示を与えられる
 1830年11月27日の御出現

 
聖母マリア様はカタリナ・ラブレにおっしゃいました「神さまはあなたに一つの使命を託したいとお思われておいでです。」しかしそれが何を意味しているかは11月27日まで、彼女に明らかにされませんでした。
 彼女はこの時の御出現をこう表現しています。
 「1830年11月27日の土曜日、夕方5時半くらいでした。私が沈黙のうちに黙想しておりますと、ふと聖ヨゼフ様の御絵の近くの祭壇から絹ずれのような音が聞こえましたので、わたしがそちらに振り向くと聖母マリア様がいらっしゃるのが見えました。彼女はお立ちになっておられ、夜明けに見るような感じの色の、白い絹のローブをお召しになっておられました。彼女は半分だけ見える地球の上に立っておられ、その御足はへびの頭を踏みつけておられました。その御手は胸の位置に置かれて、小さな金の十字架が掲げられた世界を象徴するような金色の球を、神にお捧げになられるかのようにくつろいだご様子でお持ちになっておられました。聖母様の御顔の美しさはたとえようもありませんでした。御母はまずそのまなざしを天に向けられ、そして地に向けられました。私は聖母様の御指に3つずつの指輪がはめられているのを見ましたが、美しく輝き光る宝石で作られた指輪から表現できないほど美しく四方へと輝き渡る光はその御足元まであふれたので、私は聖母様の御足も見ることができませんでした。その瞬間聖母様は御まなざしを下に向けられ、私をごらんになり、内なる声で私にお話になられました。「あなたが見ているこの球は、全世界を、特にフランス、とりわけ個々の人々を象徴しています。」内なる声はまたおっしゃいました。「そしてこの光は私に願い求める人々に注がれるお恵みを象徴しているのです。」このことで私は御母に祈ることが間違いのないことで、聖母様に御取り次ぎを願う人々には豊かな報いが与えられることを理解いたしました。そして次の瞬間どのようにかはわかりませんが、聖母様の御身の周りにたまご形の枠ができて、その中に金色の文字で次の言葉が書かれたのです。その言葉は「原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我等の為に祈り給え」としるされていました。それから私は声が言うのを聞きました。「この姿の通りにメダイを作ってもらいなさい。このメダイを身につける人は、特に首に掛ける人は、残らず大きなお恵みを受けるでしょう。深い信頼を持ってそれを身につける者は、また特別に豊かな恵みに満ちあふれるでしょう。」聖母のお姿をよく見てみると、いくつかの宝石からはいかなる光も出ていませんでした。聖母様はおっしゃいました「いかなる光も出さないそれらの石は私に依り頼むことを忘れている人々への恩寵を表しているのです。」その時私はその絵が突然裏返ったように見えました、メダイの真ん中には一本の横木と十字架をいただいた大きなMの字があり、その下には二つのみ心、すなわち、茨の冠に囲まれ血を流した主イエズス様の至聖なる聖心と、剣で刺し貫かれて血を流している聖母マリア様の汚れなき御心がありました。そしてその光景は消えていったのです。」
 マリア様とイエズス様、お二人の御苦しみは私たちの贖いにむすびつけられているのです。


 聖母はこの様な御姿で御出現された。


 カタリナの霊的指導司祭のアラデル神父様は彼女からこの話を打ち明けられたとき、若い修練女の想像力からくる幻想だと疑っていました。するとカタリナはもう一度内なる声によって彼女の指導司祭にこのメッセージを伝えることを強く促されたのでした。「聖母マリア様はお喜びになっておられません。」と
彼女の霊的指導司祭はカタリナの言うことによって苦しめられましたが無心に頼み続けるカタリナの姿に少しずつ心を動かされるようになりました。そして神父様はこのことについてパリの大司教様と話し合う機会を得たのです。大司教様はこのことが何も信仰に反することがないので正当な事として認可されました。そして1832年5月に最初のメダイが刻まれ、人々にくばられたのです。そのころパリでは恐ろしい伝染病であるコレラがはやっていて何千人というひとが命を奪われていましたが、人々はなすすべもなくただお祈りするしかありませんでした。愛徳姉妹会のシスターたちは周りの人々に出来たばかりのメダイを配ってマリア様がカタリナに伝えた「原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我等の為に祈り給え」というお祈りを繰り返しお祈りするようにすすめたのでした。すると、どうでしょうか!奇跡的に病気から回復する人や、それまで神さまに背を向けていたのに突然神さまを信じて回心するようになった人などが次々と出てきました。そして人々、特に病気の人が喜んで身につけるようになったこの小さなメダイは広く普及していきました。このメダイがあまりにも早く広がり、驚くべき奇跡やお恵みをもたらしましたので、いつのまにか人々から「不思議のメダイ」(奇跡のメダル)と呼ばれるようになって今でもその名で知られています。マリア様の御出現から5年後の1835年には、150万枚ものメダイが刻まれてヨーロッパ中に広がっていったのです。そのメダイの不思議な働きは人々の貧しさや病気の程度などによって、奇跡的な驚くべき場合もあり、ごく自然に行われることもありました。例をあげるなら信仰への回心を得ること、かたくなな罪人の悔悛、家庭に平和が与えられること、事故や天災から奇跡的に救われること、病気からの回復など数え切れません。不思議なメダイを身につける人はその人それぞれがいただいた様々なお恵みを語ることができるのです。不思議のメダイを身につける事は悪魔から救われて真の幸福を得ることなのです。悪魔は聖母マリア様に決して勝つことができません、既に負けているのです。ですから聖母マリア様のお望みのように不思議のメダイを身につけて聖母マリア様に依り頼んで「原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我等の為に祈り給え。」という不思議のメダイのお祈りを祈る霊魂は滅びることはなく必ず大きなお恵みをいただくことが出来るのです。


 

聖カタリナ・ラブレ 愛徳姉妹会修道女

1806年5月2日 ~ 1876年12月31日


湿気の多い地下墓地に埋葬されていたカタリナ・ラブレ修道女の遺骸は、死後56年たって発掘された
不思議なことに彼女のからだは完全にもとのままで、聖母を見た眼は碧い瞳孔さえ残していた。
現在、遺骸はご出現のあったパリの愛徳姉妹会本部・不思議のメダイ教会の祭壇の横に安置され多くの人の崇敬をあつめている。
聖女の位にあげられたのは1947年、ピオ12世教皇聖下によってであった。彼女の死後、71年たっていた。






不思議のメダイ教会(フランス・パリ)の聖カタリナ・ラブレ修道女の聖遺骸


 


聖カタリナ・ラブレの聖遺物

不思議のメダイの聖母と聖カタリナ・ラブレ



おもて                     うら

不思議のメダイの意味

不思議のメダイの”表”の意味


 聖母マリアは、創世記の「わたしは、お前と女の間に敵意を置く」(創世記3・5)の”女”として、また新しい”エバ”としての意味を持っています。また聖マリアは、無原罪の御宿り、あらゆる時代における女性の完全な模範、そして聖霊の力により、御父のいのちと愛への”なれかし(Fiat はい)によって、御子イエズスをこの世にもたらした、いのちと愛の開かれた道を示します。更に聖マリアは、聖ヨハネの黙示録の「一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた(聖ヨハネの黙示録 12・1)の女を意味し、私たちが彼女を祝福し、「原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我等の為に祈り給え。」と祈るように教えています。

 聖母マリアは、世の光である主イエズスの霊に輝いており、蛇の上に立って、サタンに打ち勝ったキリストの勝利を宣言しています。聖マリアはキリストとともに歩むことを選んだ人々に、恵みの道を照らし、私たちが、「御身に依り頼み奉る我等のために祈り給え」と助けを願い、彼女の照らしによって歩むよう招かれます。


 

不思議のメダイの”裏”の意味


 十字架の下に”M”という文字があります。これは”マリア”と”母”のMを意味します。聖母マリアは、十字架の上でなくなられた神の御子の母であり。キリストの聖心が槍で刺し貫かれた時、その場に立たれ、それを目の当たりにし、聖母の御心も悲しみの剣で刺し通されました。聖マリアは、また、彼女の子である私たちから成る、”教会の母”でもあります。現在、復活したイエズスの至聖なる聖心が私たちへの愛に燃えているように、聖母マリアの汚れなき御心も燃えています。聖マリアは苦しみをよくご存じなので、私たちの心が悲嘆や孤独の剣で刺し抜かれる時の気持ちをよく理解されます。

 ですから、不思議のメダイは”お守り”ではありません。それは聖母マリアがどのような方であるか、そして聖母マリアが私たちのために何をなされるかについての教えなのです。不思議のメダイを身につけることは、聖母マリアの私たちの愛の印であり、私たちの聖母マリアへの信心の証しなのです。                
       
不思議のメダイー聖母マリアへの9日間の祈りー 聖母の騎士社刊より 

 

 

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